命の価値に違いはあるだろ

「命の価値は平等」という偽善

「命の価値は平等だ」という旨の偽善者が良くいますが、所詮は偽善。現実は命の価値に違いがあり過ぎる。

良くある言説が「建前」なのは重々承知ですが、あえて明確に「本音」「正論」「原則」を述べておこうと思いました。

「価値のある」人

まず「絶対的に価値のある人」がいます。

それは稀有な才能・秀でた才能を有する人々等々、「この人がいないと困るよね」、「この人がいて良かったね」という様な人々です。

そして次に、「価値があるとみなすべき人々」がいます。

これは「善良な市民」といいますか、社会の中で秩序を重んじて自律の精神をもって生活している皆様です。民主主義の主役と言っても良いし、「才能ある人」を上手く生かす存在でもあるし、いずれにしても、一番重要な人々です。「天才」がいなくても、善良な市民だけがいれば社会は回ります。

「価値のない」人

前提:「人の尊厳」は「尊厳ある人生」を歩んできた人にだけ与えらる

なぜ当然の前提の様に「人の尊厳」は与えられるものなのか。

ただの建前ならともかく、これを本気で信じている人がいるとしたら、私は首をかしげます。

本音を言ってしまえば、社会の構成員として「立派」、あるいは「立派であろうとする心がけ」のある人にだけ「人の尊厳」というのは認められるべきなのです。

行き当たりばったりで好き放題生きてきた人々

昔、アリとキリギリスの童話を読みましたが、まさにそれです。

するべき時に努力もせず、タラタラしたり遊んだりサボったり等、楽な方へ楽な方へ流れていき、人生の佳境に差し掛かってから焦りだす、騒ぎ出す、文句を言いだす、、、そんな人々です。

ただ、しょうもないことをしょうもないと分からない「どうしようもない親から産まれた不幸な子供」は一定数要るはずです。

でも悲しいことに、本来は義務教育で「まとも」な考え方に触れるべきなのに、昨今の教師は、大卒者の中ではどちらかといえば冴えない人というか、しょうもない部類の人がなっていく印象です。

他方で、公立校の義務教育課程においては「自由に育てるべき」「何かを強制をしてはいけない」というような風潮が強まり、何も教えることができない中身のない教育に…。

「落ちていく人」はどこまでも落ちていくシステムになっています。

一人で生きていけない人々

あまり具体的に書くと色々なところから色々な事を言われてしまうので、あまり直接的に書けません…。

ただ、出征前診断でアレでも「命の選別は許されない」とか言いながら、生まれたら生まれたで国に金をせびり、こんなの、家族まとめて単なる「フリーライダー」ですよ。

真面目に汗かいて社会に貢献してくれる人々を犠牲にしてまで、こんな奴らをのさばらせておく必要はあるのか…。

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