「弁護士」という間違った言葉

人権・法律を形式的に捉えた綺麗事を言ってるだけのしょうもない奴らに限って「弁護士」と名乗っていると非常に不快な気分になります。

「護る」という言葉が入っているせいもあるのかもしれませんが、だからといってタダの「人権屋」になってしまってはいけないと思います。

そのような「人権屋」に限って、ノイジ―マイノリティの片棒担いで世の中に跋扈し、「司法」を担って社会を安寧に導くどころか、社会を混乱に陥れています。

それっぽい言葉を使っているだけの筋の悪い法律論ほど不快なモノはありません。

そもそも「法」とは

もとより「法」というのは、少なくとも自然法に淵源があるのだとすれば、法の運用も常識・条理に適ったものであるべきです。人権だろうがなんだろうが、「自然な感覚」に沿った文脈で語られなければならないハズです。

そして成文法(条文として明示されている法)としの「法律」だけが「法」ではなく、より広く社会を貫く普遍的法則まで含めたものが「法」でなければならないのです。

もちろん、かなり「道徳的」な法律もあれば、一応規則として定めているだけの法律もあります。ただ、少なくとも両者は全く完全に別個独立のものではありません。

そう考えると、特定の場合に当該カテゴリーに分類される人々の特定の人権はある場面では優先順位として後退するし、平和主義だって原則論であって、例外的な場合はあります。

「弁護士」とは

司法試験に合格した者が弁護士、裁判官、検事になって行くわけですが、裁判官は司法の立場から社会の安寧を考え、検事はどちらかと言えば行政的要素も踏まえつつ社会の安寧を考える。

では弁護士とは。

「司法」試験に合格した以上、あくまで「法」を「司」らなければならないはずです。

別に法廷で依頼者を守るだけが「弁護」士ではないし、民間、立法的立場から社会の安寧について考えていかなければならないハズです。

もっとも、「法」を語る知能・見識を有さない、試験に受かっただけの「人権屋」の様な形式的法律論を使う「詭弁士」さん達は「人権の実現こそが素晴らしい社会の実現になる」等と、ある種のカルト宗教にはまった人々の様に話にならないのですが。

そう言う人達は、「着眼大局着手小局」という言葉が分からない、あるいは、個々の「合理性」を最適化する事が必ずしも社会の「合理性」を実現するわけではないことが理解できていないのです。

適切な訳語を考える

英語ではズバリそのもの「Lawyer」という、この上ない素晴らしい言葉があります。

そして、原則として「Lawyer」が存在し、その他法廷弁護士、裁判官、検察等が例外的位置づけとして存在している(という理解ないし感覚です)。

翻って日本語では何が該当するのか。

「法律家」

一番に考え付くのが「法律家」なのですが、残念ながら既に「汚染」されています。

この言葉を使って、「詭弁士」の片割れである研究者ふぜいが、「あくまで私達は法を扱う崇高な職種」とでも言いたげに、あるいは「司法試験なんぞ通らなくても我々は法曹と同じ立場、あるいは社会的上位に位置する」とでも言いたげに、大学の講義などで生徒に向かって「我々法律家は~」と妄言を吐きます。

もちろん素晴らしい先生もいますが、大多数はただの「教員」です。

そんな「教員」を包含してしまう言葉として定着してしまっている気がします。

「法曹」

では法曹はどうか。

結論から申し上げれば、残念ながら「Lawyer」の訳語にはなり得なさそうです。

「法」はともかく、「曹」の字には、「役人」「属官」等々、どちらかと言えば裁判官や検事を括るのに適切そうな言葉です。

私見

「士」という言葉は、調べれば色々ありますが、要約すれば「立派な人」と言う意味があります。「士」とつく職業をまとめて「士業(サムライギョウ)」等とも言いますが、とにかくみんな大好きで、個人的にも良い意味だと思います。

だからこの「士」に、シンプルに「司法」を付けただけの「司法士」が「Lawyer」の訳語として適切なのではないでしょうか。

終わりに

色々と書きましたが、別に今更呼称が変わるわけでもないですけどね。

 

 

 

 

 

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