「反権力」という思考癖の古臭さ

「反権力」という思考癖の古臭さ

前置き

この記事を書くきっかけとなったのは肩書だけは「元首相」のトンチンカンが「反対はカッコ悪い」という現代若者気質に嘆いたと題する記事を見かけた事です。

確かに、スガじゃない方の菅氏は午前11:14 · 2019年8月31日のツイートで以下の引用内容を述べていました。

”今の20代、30代の若者にとって「反対」はカッコ悪いことなんだと聞いてびっくりした。団塊の世代が若者の頃は上の世代に「賛成」という方がかっこ悪かった。「反対」する中で議論が起こるが、賛成や忖度では議論は生まれない。若者を取り巻く環境は厳しくなっており、もっと「反対」といってほしい。”

付言すれば、「賛成や忖度では議論は生まれない」「もっと『反対』と言って欲しい」と言う様な内容で、つまりは与党批判の文脈で、現代若者気質がその根底にあると考えているという様な内容となっていました。

世論を誘導しようという思惑なら残念なレベルですし、仮に本気でそう思っているのだとしたら分析自体政治家としての資質を疑わせるわけですが。

それはさておき、ここでは元総理某の批判をしたいわけではなく、どっかの「三流役者」も言っていた「反権力」というバカげた思考癖について文句を言いたいだけです。

本題

考察と言うにはあまりにもお粗末な内容であることは先に述べておきます。半分ギャグです。

では。

「反権力」という言葉は、考えれば考えるほど分からない。どうして今もそんな言葉を掲げる人が出てきてしまうのか。

前近代的な一党独裁政治ならともかく、そこそこ健全な民主主義が建前の日本社会では少なくとも政権交代の機会はあります。何が良い、何が悪いと、政権与党の内容を批判的検討をするなら分かります。

でも「反権力」というのは、無思考で権力に反対するのでしょうか?現「権力」に反対して、実際に政権交代できたとして、ではまた反対するのでしょうか?

言葉の意味を真面目に考えると意味が分かりませんが、なんか共産主義的思想から端を発する何かなのでしょう。

何が言いたいかと言いますと、昔の様に「反権力のオレ(ワタシ)、カッコイイ」みたいな時代は終わってます。それがどこの時代の理想かは知りませんが、少なくとも現代においては、若者に限らず「主流派」の人々はもう少しシッカリ中身を見て考えています。

「若者の~」とか言いながら、実際に共産系の活動をしているのはジジイとババアと、思考の伴わないモンキーしかいない現実をしっかり見て下さい。

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